2011年2月20日日曜日
「信頼が引き出す人の力」Part1 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分
*2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話の要約を開始しました。
*インタビューのパートは●印で表しています。
●豊橋の本社に伺っているのですが、黄色で非常に目立つ建物ですね
●ここに会社を作られて何年目となりますか
今年で45年
私が30歳の時だった
●生まれは名古屋とか
名古屋のとんでもないところで生まれた
ウチ以外は全部お金持ちという街
同じ町内に豊田さんとか、ソニーの盛田さんとか
その他もろもろのお金持ちが住んでいた
名古屋東区白壁町というところだった
小学校の2年生まで住んでいた
お金持ちの家は今でいうテーマパークのようなもの
他人の家のお屋敷で近所じゅうの悪ガキが遊んでいた
でも、戦争前、豊田さんの庭で遊んでいて怒られたことがない
昔のお金持ちは、町内子供を皆で育てている、そんな雰囲気だった
そんな時代だった
●お父様は何をされている方だったのですか
父は体が弱く、言ってみれば学者の成り損ない
そういう点では学習はしっかり読書を通じてやらされた
歴史と文学は学校の宿題よりおやじの宿題のほうがきつかった
●何人兄弟ですか
男一人と女4人だった
●男の子として両親の期待を背負っていた
どうだったのだろう
その後戦争があったり、病気となったりで
男一人、女三人となった
●高校生ぐらいから非常に音楽が好きだったとか
そうです
子供の頃からずっと好きで
母親が名古屋のオートクチュールの一号、あるいは、二号店の経営者で
●非常にハイカラなお母様と学者肌のお父様の間で両方のいいところを引き継いだ
いいところかどうかわからないが
押し付けられて
母親は名古屋在住の外国の方との付き合いが多く
だから90いくつでも若干英語がわかる
外国の方からアコーディオンをもらったり
そういうチャンスがあって、
私もアコーディオンを子供の頃から弾きまくっていて
それで音楽が好きだった
●一時は音楽のプロになろうとしたとか
当時、稼ぎがよかったので
10年それで飯を食っていた
18歳からダンスホールに出入りしていて
26歳までナイトクラブ等で演奏して
今でいうライブハウスですか
●ほとんどプロですね
そうです
某プロダクションにちゃんと入っていたから
でも、音楽に命を捧げるという純粋さはなかった
(10:47)
*以前立てた予定を変更して、今回から松浦元男さんの話しの要約を始めました。
ラベル:
明日への言葉・心の時代
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