2011年2月27日日曜日

「信頼が引き出す人の力」Part7 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分





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2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。
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●プラスチック成形の会社を作って、2年目以降は社員は段々と増えていったのですか?

うん、ぼちぼち増えていった

それで、1973年の秋のオイルショックで

あれで頭をぶん殴られたようなもので

また潰れそうになった

それから心を入れなおして

方針を立て直して

一つ一つやってきて今日まできた

●オイルショックのときはどんな状況でした?

潰れないと思っていたのは自分だけ

あとの人は皆つぶれると思っていただろう

開業以来付いてきた連中は

まぁしょうがないや、一緒に潰れてやろうと

そう言って辞めずに頑張ってくれた

その頃、社員は15、6人になっていたが

10人ぐらいはあっという間に辞めた

こんなところにいたらもうアカンと

パートのおばさん達は12月20日に給料を払ったら

21日にはもう誰も来なかった

●松浦さんひとり潰れないと思っていたのはどうしてですか?

全然思ってなかったもん

会社の財産はお金であったり、お金でなかったりする

お金じゃないけれど、昔お金だった財産を勘定したら

まだやっていけるなと

だからどんどん売っていった

持っている自動車とか何でも売っていった

その売る姿を見ていて失望して辞めていった人がほとんど

僕は売れるものだから、こりゃあいいわと

●のんきですね(笑)売れるものは全部売った?

そう

これが企業の縮小均衡

大企業は皆やっている

一種のリストラ

自分の場合は縮小均衡したら皆が辞めていってしまったので

自然とリストラになって

赤字だったのが、半年でトントンになってしまった

あ、これがリストラかと

で、今度は二度とそんなことが起きないように

どうしたらいいのかと

それで平素からきちっと財務管理をしようと

小さくてもお金の管理はちゃんとしようと

そういうことで1973年から

どんなに会社は小さくとも

正式な、正規の学問に則った

経営を始めた

今度はリーマンショック

2008年の9月15日

2008年の10月には売上が40%落ちた

11月には80%売上が落ちた

その後半年間、売上は8割なかった

でも平気、誰も辞めていない

そういう体質になっている


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(29:46)


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2011年2月26日土曜日

「信頼が引き出す人の力」Part6 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分





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2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。
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●スタートして、もとが取れて、社員に給料を払えるようになったのは?


それは一年半ぐらいダメだった

皆で握り飯食って終わりだった(笑)


●不安ではなかったですか

それは若さなのか

ついてきた若者も、わけわからずついてきて

今は若者じゃあなくて、立派なお祖父さんだが

67,8才になって現場で威張っている

●最初から世界一のモノをつくろうという構想があった?

規模を世界一にしようとは全く思っていなかった

中身で大企業に頭を下げさせてやろうと思っていた

そのぐらいの心意気があった

そんなことをいうと怒られるが

それぐらい生意気だった

●一年半は大変だったが、目処が立ったのはいつごろか?

大変だといっても苦労だとは思っていなかった

面白かった

もう無茶苦茶忙しかった

お金持ってこなけりゃ食っていけないから

そのために忙しかった

休むのはお正月の一日、二日だけ

三日目には機械を動かしてガチャガチャやっていた

そんな時代だった

●そのころの機械は?

買ってきた機械だった

機械代金を払わないといけないから

だから夜も昼も交代で働いた

●そのころ、部品はどういう会社に収めていたのか?

ちょっと大きな同業者から仕事を分けてもらっていた

自動車の簡単な部品だとか

カメラの簡単な部品だとか

まぁそういうものだった

本当に振り返ってみると

この40年ぐらいの間に私たちが仕事をもらっていた親会社は

ほとんど潰れてしまった

世の中の変化というのは怖い

豊橋市、蒲郡市、豊川市、新城市

4つでだいたい人口が74~75万人

この東三河地区で自分の知っている限りでも

20から30社消えている

これば世の中の変遷

●よく親会社は生き残って、子会社が潰れるという話は聞くが
●逆だったのですね

それは、親のほうがぼやぼやしているから

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(26:20)


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2011年2月24日木曜日

「信頼が引き出す人の力」Part5 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分





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2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。
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●自分が一家の主のような気持ちだった?


終戦直後のあの時代、どこの家庭もそうだったと思うが

他人の面倒をみれるほど、暇も余裕もなかった

皆、一生懸命だった


自分も一生懸命やっている中で、両親にもうこっちに帰ってきたらどうと

住むところも家一件借りといたよと


●創業時にはたくさん応援団もいて、両親も安心していた?

そのころ、自分は結婚していて、息子が2歳ちょっとだった

今でも女房に怒られるのだが、

朝、じゃあ行ってくると出ていって

帰ってきて、今日会社辞めてきたと話したから


●30歳で会社を作られたときに、こういう会社にしようというのはあったのですか


ありました

まさに今のまま

世界最高の部品メーカーになろうと

そのためにまずここから始めるという順序はあったが

狙いはここだった

30年かかった


●社員は何名で始めたのですか

3人だった

一人は残念ながら癌で10年ほど前に亡くなったが

2人はそのまま今も残って、最高のジジイが威張っている(笑)

●最初から金型をやっていた?

そういうものは後から増やしていった

初めは成形品だけでスタートした

だんだん仕事を覚えながら、金型を作ったり

金型作ってみたら、これは機械も作ったほうがいいとなって

それで今は成形機そのものも作っている

だから工場内にある生産手段はすべて内製化したもの

全部、自分で設計した


今は、もう立派な専門家が育って、彼らがやっているが


スタートは自分が見よう見まねで、

つまり、モノマネで始めた


●松浦さんは経済学部で工学部でもないのに?


皆さんそう言われるが

それは日本人の非常に悪いところ

文系も理系も関係ない

それはノーベル賞を取る人の話し(笑)

我々がやっているのは機械

機械の設計など、線が引けて、丸が描ければ、誰でもできる


●線を引いたり、丸を描いたりは誰でもできるが、複雑で難しいのでは

時間さえかければいい

ただ、お金を儲けるためには

それを短い時間でやらなければならない

それは初めはできない

今なら半日で設計できるものでも、当時は1年かかった

今はパソコンを使えるからスラスラとできてしまう

(24:04)



2011年2月23日水曜日

「信頼が引き出す人の力」Part4 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分





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2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。
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たとえば、駅のフォームでアイスクリームを売る仕事をしたのだが、

そうするとそのフォームで一番になりたくなる

一番たくさん売っている人がどうやっているのかと後についていくと

お釣りを最初から分けていたとか

いろいろな工夫をみて、こういうことなのかと気づく

すぐそれを真似してやる

俺のほうが売れないのはなぜかと思うと

声の大きさが違っていた

声も真似して大きな声を出すとか

そういうことを先輩から習うということを

中学を卒業したころから教えられた


●本当にいろいろなヒントが身の回りに転がっているということですね


そう

大切なのはまずは模倣、まずは真似ること

今はどうかすると、教育で初めから真似をするなと教えるが

まず真似ができなければ、なんともならない

私はそれを体得して

まず模倣して、そこから卒業するということでやってきた


●いろいろな体験を経て会社を起こされたとき、お母様はなんと

僕の家系は面白く

親父と僕、僕と息子には関わりがある

あることをやってしまうと

親は子どもにあまり干渉しないという取り決めのようなものがある

僕は親父に石投げ、走りっこ、相撲など4~5種目やって勝つと

もう親父は何も言わない

高校1年生の夏に親父に全部勝ったので

それで黙って学校を辞めて、こっちに出てきてしまった

その時は島根県に疎開していて

こんなところにぼやぼやしているとダメになってしまうと焦っているときに

親父に全種目勝ったので

もういいねと

その代わり全部勝ってしまうとお小遣いをもらえない

もう一人前だから

高校生の時バイトしていたのは、自分で学費を稼ぐため

それから親もこっちに出てきたのだが

最近になってその話になって

母親は95歳になるのだが、

高校生の自分が呼んだことを、不安じゃなかったかと聞いたら

全然不安じゃなかったと

だってお前は頼りになったからと


●昔は15才で元服、一人前ですしね
●ご両親はきちっとある一線を引いていたということですね

わりあいとね

ぐちゃぐちゃな部分もあったけれど
(20:55)

2011年2月22日火曜日

「信頼が引き出す人の力」Part3 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分







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2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。
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●30にもならない若者によくそれだけ応援団ができましたね

驚きました

一生懸命やっていてよかったと思う

自分でいうのも変だが5年間、命がけで仕事をしていた

5年間でだいたい普通の人の定年迄の仕事をしたと思っている

忙しい時は畳の上で寝たのは1ヶ月で3日とか

そのぐらいの勢いで仕事をしていた

●その時は営業をしていたのですか

いろいろなことをしていた

当たるを幸いに

開発から営業から工場の改善から品質管理まで

一切合切、首を突っ込んで、暴れまわっていた

そのぐらい当時の日本の企業は遅れていた

私はどちらかというと頭でっかち、勉強が進んでいたので

あれもこれも遅れていると感じて

がんがらがんがらやって

随分と憎まれもしたと思う

後になって皆さんに重宝がられた

お前あの頃は面白いことやっていたよと、懐かしがられた

●とことん突き詰めるタイプなのですか

というより、

ひとつの事件にぶつかると

そこですぐ、バァーと夢が広がってしまう

こうしよう、ああしようと

うちの社員にもよく言うのだが

「構想力を持ちなさいと」

言われることをごちゃごちゃやるだけではなくて

それを通じて俺ならこうするぞと

やっぱり自分の構想をもたないと仕事はつまらないよと

●サラリーマンの5年間でやりたいことが明確になり、準備をしていた?

そういわれればそう

自分では意識はなかった

●一生懸命やっていれば人が見てくれると感じられたわけですね

それはサラリーマンの時だけじゃなくて

高校生の時にアルバイトを30ぐらいやっていて

ほとんど学校は休んでいた

●どんなアルバイトをしていたのですか

洋服屋の店員とか、菓子屋の職人とか、ダンスホールのボーイとか

アルバイト禁止だからもちろん隠れてやっていた

ちょっと空いている時間があると、いかがですかと売り込んだ

それで一生懸命やっていた

そうしたら何軒かお店から、

ウチは跡取りがいないから養子にならないかと声をかけられ

親父に怒られた

見られている意識があるわけではなく、とにかくのめり込んでしまう

それを誰かが見てくれていたのだと思う


2011年2月21日月曜日

「信頼が引き出す人の力」Part2 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分






*2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話を要約中。

*インタビューのパートは●印で表しています。



●大学はちゃんと卒業されたのですね

一応ね

ほとんどいっていません、学校には

●専攻は

経済学部でした

ただ、面白かったのは4年生になったとき

このままでは卒業できないから

事務局に、ある先生に相談しろと言われて

相談しようとして間違って隣の教室に入ってしまった

そこで、1930年ごろの世界恐慌を集中講義していた

それにはまり込んでしまった

結局4時間聴いてしまった

卒業の手続きができなかった

講義が終わってから、教授に今日の経済学の話はとても面白い

もう卒業してしまうので講義をうける機会がなくなってしまう

どんな勉強したらいいのですかと聞いたら

先生がメモをパパパッと書いてくれて、これだけ読みなさいと

言われたのが、

・マルクスの資本論
・ケインズの一般理論
・ヒラーリングの貨幣金融論
・アダムスミスの国富論

この4つはきちっと読みなさいと

そんなの急に読めないというというと

ばか!一生かかって読むのだと言われて

それで今だに読んでいる

●卒業間際にすごい出会いがあったのですね

卒業が私にとって入学だった

そこから勉強を始めた

●でもまだ音楽をやっていた

それで急速に足を洗った

●サラリーマンに一度はなられたとか

5年やりました

セロファンとかビニールシートとか作っている会社に入った

●考えがあったのですか

当時、最先端の素材を扱う業界に入りたかった

当時のプラスチックは今でいうセラミックとかICとかのように

最先端の響きがあったので、それで選んだ

豊橋にある、中小企業といっても社員が1000人ぐらいいる比較的大きな会社だった

●東京に出ることは考えなかった

あまり東京に出たいとは思わなかった

バンド時代、ずっと東京にいたから

せっかく帰ってきたのだから、あまり行きたくなかった

●5年して、なぜ辞められたのか

今の仕事がやりたくなったから

会社にこういう仕事を一つの事業部としてやらないかと何回か提案したのだが

そりゃあ無理ですわ

27,8歳の若造が1000人からいる会社で提案したところで

取り上げてもらえるわけがなかった

それで、面白いことに

会社が取り上げてくれないなら、自分でやろうかとリークしたら

そうしたら急に応援団ができて

お前がやるなら援助してやる

いろいろな人が出てきて、やらなければならない方向に行ってしまった

ずるずるずるっと行ってしまった

世の中の人というのは本当によく見ている

お前がやるなら間違いがないから

ここまで応援してやると

つまり仕入れとか、機械設備とかを俺が月賦で売ってやるとか

中には「商売やるには金がいるぞ、あるのか」

「ない」というと

ならば銀行で借りなければならんと、銀行までついてきてくれて

その場で、保証人になって

こうやってお金を借りるのかと

そんなところから今の会社は始まった
(14:19)


2011年2月20日日曜日

「信頼が引き出す人の力」Part1 精密部品会社社長 松浦元男さんのお話 2010年4月24日放送分








*2010年4月24日放送のラジオ深夜便明日へのことば「信頼が引き出す人の力」
精密部品会社(樹研工業)会長の松浦元男さんのお話の要約を開始しました。

*インタビューのパートは●印で表しています。

●豊橋の本社に伺っているのですが、黄色で非常に目立つ建物ですね
●ここに会社を作られて何年目となりますか

今年で45年

私が30歳の時だった

●生まれは名古屋とか

名古屋のとんでもないところで生まれた

ウチ以外は全部お金持ちという街

同じ町内に豊田さんとか、ソニーの盛田さんとか

その他もろもろのお金持ちが住んでいた

名古屋東区白壁町というところだった

小学校の2年生まで住んでいた

お金持ちの家は今でいうテーマパークのようなもの

他人の家のお屋敷で近所じゅうの悪ガキが遊んでいた

でも、戦争前、豊田さんの庭で遊んでいて怒られたことがない

昔のお金持ちは、町内子供を皆で育てている、そんな雰囲気だった

そんな時代だった

●お父様は何をされている方だったのですか

父は体が弱く、言ってみれば学者の成り損ない

そういう点では学習はしっかり読書を通じてやらされた

歴史と文学は学校の宿題よりおやじの宿題のほうがきつかった

●何人兄弟ですか

男一人と女4人だった

●男の子として両親の期待を背負っていた

どうだったのだろう

その後戦争があったり、病気となったりで

男一人、女三人となった

●高校生ぐらいから非常に音楽が好きだったとか

そうです

子供の頃からずっと好きで

母親が名古屋のオートクチュールの一号、あるいは、二号店の経営者で


●非常にハイカラなお母様と学者肌のお父様の間で両方のいいところを引き継いだ

いいところかどうかわからないが

押し付けられて

母親は名古屋在住の外国の方との付き合いが多く

だから90いくつでも若干英語がわかる

外国の方からアコーディオンをもらったり

そういうチャンスがあって、

私もアコーディオンを子供の頃から弾きまくっていて

それで音楽が好きだった

●一時は音楽のプロになろうとしたとか

当時、稼ぎがよかったので

10年それで飯を食っていた

18歳からダンスホールに出入りしていて

26歳までナイトクラブ等で演奏して

今でいうライブハウスですか

●ほとんどプロですね

そうです

某プロダクションにちゃんと入っていたから

でも、音楽に命を捧げるという純粋さはなかった

(10:47)




*以前立てた予定を変更して、今回から松浦元男さんの話しの要約を始めました。
 

2011年2月19日土曜日

会社の成長は社員の幸せから Part9 …長野県 食品会社会長 塚越博さんの話 2010/10/6放送分







*ラジオ深夜便、2010/10/6放送の伊那食品工業株式会社会長 塚越博さんのお話の要約中。
*インタビュアーのパートは●表しています。


●今、インタビューしている部屋が会長室
●正面にある世界地図の黄色の印は原料を仕入れている場所ですか


いえ、昔は原料を仕入れていたが、今は私たちの海外工場があるという意味

インドネシア、モロッコ、チリ、そして韓国

●もう現地生産しているのですか

そうです。

人件費が安いという理由ではなくて

昔から原料を仕入れていた

なぜ、原料を仕入れていたのかというと

若い人は知らないと思うが

かつては日本の海が世界で一番汚かった

ちょうど日本が高度成長していた数十年前

その時は日本の川と海が一番汚かった

だんだん海藻も少なくなり、将来が不安だったので

私が世界中を探して歩いてみた

結果的に先程の4箇所で

比較的よい海藻が採れるとわかって

それで仕入れをしていた

それがもとになって、私たちが技術指導をして工場を作った

●海外生産をうまくやるためにも信頼が必要なのでしょうか


そうです。

どこの国でやるというより誰と組むというのが一番大事

パートナーはあくまで個人

信用のおける人と組んだらうまくいくのだと思う

だから私達とつきあっている人は皆30年以上の取引

おかげさまで、非常に友好的にやってこれている

●現在450人の方が働いていて、売上が160億以上だとか

昨年は160億で、今年は170億ぐらいだと思う

●順調になるまでには長い旅路だったのでしょうね

売上はそう意識していなかったが

中堅企業というのがウチの肝なのだと思う

この規模が実は経営上、いい規模だと私は思う

だいたい全従業員の名前と顔がわかるし

会社の隅々まで見ることもできるし

いわゆる運転しやすい自動車のようなものだと思う

我々のやっている今の仕事は原料に制約があり

下手に大きくすることができない

天産物とのバランスを取っていかないと

採りすぎたら乱獲になってなくなってしまう

そういうことを考えながらやっていくには

適正な規模だと思っている

他の分野で多少大きくすることは可能かもしれないが

あまり本業からかけ離れたことをやっていると

安定に繋がらなくなってしまう

会社を大きくすることを目的に

どんどん多角化するようなことはしたくないと思っている


●あくまでも社員の幸せのためにということですか

そんな格好のいいことではないですよ

まぁ、自分のためでもある

だって、会社が不安定な経営では自分も安心できないし

社員の幸せを考えながらやるというのは

巡り巡って自分のためになっているのだと思う

●順風満帆な経営をつくりあげ、
●自分の生き方が形になったのがこの会社とお見受けしてよろしいでしょうか


そんな大げさなものではないですが

ここへ来るまでの間に実に多くの人のお世話になってきた

社員も本当に一生懸命やってくれている

いつでも感謝を忘れないようにしている

50周年のときもなんとか感謝を表したくて

お世話になった人を呼ぼうとしてリストアップしたら2千人を越えた

2千人を収容するホールは伊那市にはない

だったらガーデンパーティにしようと

社員が屋台をだしてもてなした

当日は天気もよく、実にうまくいった

みな大変喜んでくれた

私はいつも大勢の人のお世話になったという気持ちは忘れない

世話になったと気持が、

少しでも会社を安定させることで世の中のためになりたいという気持ちにさせる

安定した経営をしていれば少しでも寄付ができる

社員を毎年雇用できるとか

世の中のために結果としてなっている

だから今後も安定した経営を続けようと思っている

年輪のように


●最後に現代の日本の経済、経営についてどう思うか聞かせてください


最近の経済界はなぜか倫理観が不足しているように感じる

私の倫理観はそれが社会的に正しいかという意味

何が正しくて、何が正しくないかというとわかりにくいが

自分だけよければ

今さえよければ

というのが正しくないと思う

自分もいい、他人もいい、社会もいいというのが正しいのだと思う

自分さえよければ、自分の会社さえよければというのが

過激な競争社会を作っている

これを修正するには

場合によっては政治の力が必要だろうと思う

●グローバルスタンダード、世界標準に合わせた会社にしなくてはならない
●それが利益優先という風潮を生み出しているように感じますが

グローバルスタンダードというのはよくわからないが

倫理観に満ちた

誰のための会社か、なんのための会社かということを追求していくことが

本当のグローバルスタンダードなのではないかと思う

●渋沢栄一氏の論語の経済学も無くなっているとおっしゃっていたが


論語は耐えて久しいが

二宮尊徳もいっていたかもしれないが


経済なき道徳は寝言である

道徳なき経済は犯罪だと

経済を否定するものではないが、そこに倫理観がなければ

それは犯罪行為に等しいのだと

だから私も大したことができるわけではないが

ある程度、倫理観に満ちた、道徳観に満ちた経営をしたいと思っている


●これからもますますのご発展を、今日はどうもありがとうございました

こちらこそお世話になりました。

ありがとうございました。





*今回で完結です。

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